目次
❖ はじめに
「サバイバル」は、GLAYが1999年5月19日にリリースしたビデオシングル
2024年現在、日本のミュージックビデオ作品の売上歴代1位。
1999年、GLAYが時代に真正面から殴り込むように放ったロックチューン「サバイバル」。
TERUさんの鋭い歌声と、TAKUROさんの社会を切り取る目線が光るこの楽曲は、
リスナーに「今をどう生きるか?」という問いを突きつけます。
この記事では、そんな「サバイバル」の歌詞を丁寧に読み解きながら、
GLAYが私たちに伝えようとした「生き抜く強さ」と「希望」について考察していきます。
🌀声高に時代はサバイバルだと…
声高に時代はサバイバルだとコメンテーター 不吉な予想図立てて闇にまくしたて
ここでは、1990年代末の日本社会に対する強い違和感が表れています。
TVやメディアは悲観的な未来ばかりを煽り、「生き抜け」「負けるな」とばかり言う。
でも、それって本当に生き方を導いてくれるもの?
――GLAYはそこに疑問を投げかけています。
🪞鏡には昨日のヘマをなじる顔がある
この一節は、誰しもが抱える自己否定や劣等感に刺さります。
「昨日のミスが忘れられない」「また今日も…」
そんな朝の鏡に映る自分との葛藤。
GLAYは、迷走しながらも生きる「ボクラ」を、
「それでもいいんだ」と優しく肯定しているようにも感じられます。
🧠バイタリティーで平成を駆ける君へ
そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆ける君よ!
ここで一気に景色が変わります。
どこか投げやりで刹那的な前半のトーンから、
“生きてること自体がすごいことなんだ!”という称賛のメッセージに。
どんな時代でも、精一杯生きてる人をGLAYは全力で応援してる。
その姿勢がひしひしと伝わってくるフレーズです。
🌍地球の最後の日になっても
地球の最後の日になって 欲望のタガが外れたら アダムとイヴになれる
このサビは衝撃的ですよね。
「欲望が解放された終末世界」で、それでも「誰かと愛し合うこと」を選ぶ。
これは、混沌の中でも「愛」は最後の希望であり、
“人間らしさの原点”であると語っているように感じます。
■ “タフにこの世を生きるために必要なもの”
タフにこの世を生きる為に 必要なもの ちょっとぐらいの絶望も 長い目で見りゃ極上のスパイスを味わえる oh yes
この一節が伝えるのは、まさに「人生の味わい方」そのもの。
どれだけ打ちのめされても、絶望しても、それすらも後になって「スパイス」だと思えるような強さ。
GLAYの楽曲に通底する“人間讃歌”のような視点を感じます。
これはTAKUROさんが、1998年という「世紀末」を目前にして作詞した「生きるための哲学」だったのかもしれません。
■ “アダムとイヴになれる”の真意とは?
欲望のタガが外れたら アダムとイヴになれる
この表現は、単なる男女の比喩ではなく、何もかも剥がされた“原点”に立ち返れるというメッセージ。
文明や社会に疲れた人間が、最後には“裸の自分”として向き合える愛や命を大切にできる。
そこには、GLAYが一貫して描いてきた「人と人とのつながり」の本質があります。
■ “悩みは多い方が退屈を埋めるよ”
悩みは多い方が 退屈を埋めるよ
ここがTAKUROさんの真骨頂。
辛さも、迷いも、悩みも…「それが人生だろ?」って、肩をぽんと叩いてくれるような感覚。
ネガティブをそのまま否定せずに「それも含めて良い」と肯定してくれる歌詞は、
生きづらさを抱える人にとって大きな支えになります。
🌎「サバイバル」は、“終末論”に踊らされない、生きる力の歌
“地球最後の日”になっても、愛とつながりは残る。
“絶望”さえもスパイスになる。
そんな希望を、GLAYはロックのリズムにのせて叫んでくれました。
それが、GLAYの「サバイバル」だったんです。
✨まとめ|サバイバル=“生き抜く勇気”をくれるロック
「サバイバル」はただの応援歌ではなく、
**人生の酸いも甘いも肯定してくれる“人生賛歌”**だと思います。
TAKUROさんの鋭い言葉、TERUさんの叫ぶような歌声、HISASHIさんのアグレッシブなギター、JIROさんの低音が刻むビート…
すべてが、“生きる”ことに真正面から向き合っている。
だからこそ、
「悩みは多い方が 退屈を埋めるよ」という一言が、
今も多くのGLAYERにとって“生きる力”そのものになっているんじゃないかな。
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