目次
🎧 曲の概要
「カナリヤ」は1996年発売のアルバム『BELOVED』に収録された楽曲。
作曲はGLAYのベーシスト・JIROさん。
彼らしい繊細で温かみのあるメロディが、TAKUROさんの深い詞世界と見事に融合しています。
本作は、故郷を離れて生きる“僕”が過去を振り返り、
大切な人や失われた日々を想う――そんなノスタルジックな手紙のような作品。
「歌を忘れたカナリヤ」という象徴的なフレーズには、
“夢を追いながらも日々に埋もれていく現実”への痛みと、
“それでも生き続ける意思”が込められています。
🌿1. 故郷と別れの記憶
From My Hometown 風は走る 南へと緩やかに もう多分 戻れない さよなら 愛しき日々
物語は“故郷を離れる”場面から始まります。
柔らかな風が過ぎ去った日々を思い出させ、
“戻れない”という言葉が過去への未練と決意を交錯させます。
GLAYの故郷・函館を思わせる描写も多く、
この「南へと向かう風」は、GLAY自身の“上京”という現実を投影しているとも感じられます。
💌2. 青春の回想と“戦場”の比喩
僕らは銃を持たず 生きる術も何も持たず 戦場へ行った
“戦場”とは、社会という現実そのものの比喩。
若者たちは、武器も持たず夢だけを抱えて“都会”という戦場へと向かう。
TAKUROさんが20代前半の頃に抱いた孤独・不安・希望のすべてがこの一節に凝縮されています。
“愛称を呼べば今でも君が泣き笑いしてる”というフレーズには、
離れた故郷の仲間や、大切な人たちへの想いが静かに息づいています。
🌙3. 「歌を忘れたカナリヤ」に込められた意味
歌を忘れたカナリヤよ 今僕らは何処にいるのか?
この一節は曲の核心。
“カナリヤ”とは、夢を追う象徴であり、感性を持つ自分自身のこと。
忙しさや現実の荒波の中で、
本来の“歌(=自分らしさや情熱)”を見失ってしまった人々へのメッセージ。
それでも彼は、「レンガを敷いた坂道にある海沿いの店」を思い出し、
“あの頃の音”を心に探そうとしています。
この描写はまるで、希望の記憶に帰る瞬間のようです。
💭4. “誰かのために汗を流してく”という成熟
時にはレールを離れ 夢に溺れてみたいなんて まあそう言うなよ
君の様に生きる そんな暮らしも憧れてる 誰かの為に汗を流してく
ここには、大人になった“僕”の視点が描かれています。
夢だけでは生きられない現実を受け入れながらも、
「誰かのために働くこと」もまた、ひとつの愛であり誇りであると気づいていく。
若さを失っても、人を想う優しさを手放さない――
この一節が、曲全体を包み込むような温もりを与えています。
🌅5. まとめ ― 「カナリヤ」は“生きること”そのもの
「カナリヤ」は、TAKUROさんの詞の中でも特に人生観が深く描かれた作品。
夢に生きた若者が、大人になっても心の中で“歌”を探し続ける。
それはGLAY自身の姿であり、私たちの生き方にも重なります。
“歌を忘れたカナリヤ”とは、忙しい日常の中で、自分の心の声を見失った全ての人たち。
それでも、レンガの坂道を思い出せる限り、
私たちはもう一度“歌”を取り戻せるのかもしれません。
🌻あなたの中の“カナリヤ”は、今どんな歌を歌っていますか?
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