第40回目GLAY歌詞考察|「カナリヤ」― 夢を追い、現実を生きるすべての人へ”シン君が語るGLAY曲の魅力

GLAY

🎧 曲の概要

「カナリヤ」は1996年発売のアルバム『BELOVED』に収録された楽曲。

作曲はGLAYのベーシスト・JIROさん。

彼らしい繊細で温かみのあるメロディが、TAKUROさんの深い詞世界と見事に融合しています。

本作は、故郷を離れて生きる“僕”が過去を振り返り、

大切な人や失われた日々を想う――そんなノスタルジックな手紙のような作品。

「歌を忘れたカナリヤ」という象徴的なフレーズには、

“夢を追いながらも日々に埋もれていく現実”への痛みと、

“それでも生き続ける意思”が込められています。

🌿1. 故郷と別れの記憶

From My Hometown 風は走る 南へと緩やかに もう多分 戻れない さよなら 愛しき日々

物語は“故郷を離れる”場面から始まります。

柔らかな風が過ぎ去った日々を思い出させ、

“戻れない”という言葉が過去への未練と決意を交錯させます。

GLAYの故郷・函館を思わせる描写も多く、

この「南へと向かう風」は、GLAY自身の“上京”という現実を投影しているとも感じられます。

💌2. 青春の回想と“戦場”の比喩

僕らは銃を持たず 生きる術も何も持たず 戦場へ行った

“戦場”とは、社会という現実そのものの比喩。

若者たちは、武器も持たず夢だけを抱えて“都会”という戦場へと向かう。

TAKUROさんが20代前半の頃に抱いた孤独・不安・希望のすべてがこの一節に凝縮されています。

“愛称を呼べば今でも君が泣き笑いしてる”というフレーズには、

離れた故郷の仲間や、大切な人たちへの想いが静かに息づいています。

🌙3. 「歌を忘れたカナリヤ」に込められた意味

歌を忘れたカナリヤよ 今僕らは何処にいるのか?

この一節は曲の核心。

“カナリヤ”とは、夢を追う象徴であり、感性を持つ自分自身のこと。

忙しさや現実の荒波の中で、

本来の“歌(=自分らしさや情熱)”を見失ってしまった人々へのメッセージ。

それでも彼は、「レンガを敷いた坂道にある海沿いの店」を思い出し、

“あの頃の音”を心に探そうとしています。

この描写はまるで、希望の記憶に帰る瞬間のようです。

💭4. “誰かのために汗を流してく”という成熟

時にはレールを離れ 夢に溺れてみたいなんて まあそう言うなよ

君の様に生きる そんな暮らしも憧れてる 誰かの為に汗を流してく

ここには、大人になった“僕”の視点が描かれています。

夢だけでは生きられない現実を受け入れながらも、

「誰かのために働くこと」もまた、ひとつの愛であり誇りであると気づいていく。

若さを失っても、人を想う優しさを手放さない――

この一節が、曲全体を包み込むような温もりを与えています。

🌅5. まとめ ― 「カナリヤ」は“生きること”そのもの

「カナリヤ」は、TAKUROさんの詞の中でも特に人生観が深く描かれた作品。

夢に生きた若者が、大人になっても心の中で“歌”を探し続ける。

それはGLAY自身の姿であり、私たちの生き方にも重なります。

“歌を忘れたカナリヤ”とは、忙しい日常の中で、自分の心の声を見失った全ての人たち。

それでも、レンガの坂道を思い出せる限り、

私たちはもう一度“歌”を取り戻せるのかもしれません。


🌻あなたの中の“カナリヤ”は、今どんな歌を歌っていますか?

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