第21回目GLAY歌詞考察|「軌跡の果て」喪失と後悔の果てに見える“人生”と“愛”のかたち。”シン君が語るGLAY曲の魅力

GLAY

「軌跡の果て」は、GLAYが1996年2月7日にリリースしたアルバム『BEAT out!』に収録された一曲。

この楽曲は静かに深く、胸の奥に突き刺さるバラードだ。

作詞・作曲はTAKUROさん。人間の弱さと再生、そして「愛とは何か」という根源的な問いが歌詞に込められている。

❖ 絶望の中にある“記憶”の断片

「愛されたい」と願う事を 諦めてしまった シビれた身体 罪の意識もないさ

冒頭から漂うのは、“人としての温度”を喪失してしまったような冷たさ。

自分の存在価値すら見失い、罪の意識すら感じなくなってしまった心の麻痺。

しかし、その部屋の壁には「幼い頃の俺と 無邪気な笑顔」が写る写真がある。

忘れかけた“自分”の面影が、かすかに残っている。

過去の記憶が、絶望の中で唯一の“ぬくもり”として描かれているのだ。

❖ “優しさ”という凶器と、誠実さの罠

WOW 優しさは AH WOW 時として 人を傷つけた

「優しさ」が誰かを傷つける。

それは皮肉にも、本心を隠すための“誠実なふり”が人の心を壊すことがあるという、TAKUROさんらしい逆説的な視点。

また、

今、誠実さに溺れてゆく…

という表現も印象的だ。

誠実であることは素晴らしいが、それに“溺れてしまう”と、自分の感情すら失ってしまう。

愛とは、正しさだけで測れるものではない──そんな葛藤が浮かび上がる。

❖ 捨てたものの大きさと、「生活」という夢

光りを目指す自分の為に 何もかも捨てたさ 「おまえとの生活ほどの夢はなかった」

夢のために捨ててしまった“家族・友・恋人”。

それらの喪失を経て、最後に語られる「おまえとの生活ほどの夢はなかった」という一行には、痛切な後悔と愛情がにじむ。

大きな成功よりも、隣にいた人との穏やかな日常こそが、本当に欲しかった夢だったのだと気づいたときには、もう戻れない。

❖ “奇跡の果て”に残ったのは──

不器用に生きた軌跡の果てに 大切な何かを失くしても

このフレーズ。

不器用でもまっすぐに生きてきた人生──その果てにあるのは、痛み、孤独、喪失。

しかし同時に、“大切な何かを失くしても”、どこかでそれを受け入れようとする強さが生まれている。

泣きたくなるほど切ない夜、それでも「幻よ、消えないで」と願う心。

人は弱さを抱えながら、それでも“生きていく”存在なのだ。

❖ ラストの問いかけ

憧れに生きた軌跡の果てに 大切な何かを失くしても

ラストはもう一度この言葉で締められる。

「憧れ」という言葉には、少年のようなピュアな感情が込められている。

その果てに何が残るのか。

愛も、夢も、すべてが幻のように過ぎ去ったとしても──それでも「自分の人生だった」と胸を張れるだろうか。



あなたにとって、“軌跡の果て”とは、何ですか?

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