「軌跡の果て」は、GLAYが1996年2月7日にリリースしたアルバム『BEAT out!』に収録された一曲。
この楽曲は静かに深く、胸の奥に突き刺さるバラードだ。
作詞・作曲はTAKUROさん。人間の弱さと再生、そして「愛とは何か」という根源的な問いが歌詞に込められている。
❖ 絶望の中にある“記憶”の断片
「愛されたい」と願う事を 諦めてしまった シビれた身体 罪の意識もないさ
冒頭から漂うのは、“人としての温度”を喪失してしまったような冷たさ。
自分の存在価値すら見失い、罪の意識すら感じなくなってしまった心の麻痺。
しかし、その部屋の壁には「幼い頃の俺と 無邪気な笑顔」が写る写真がある。
忘れかけた“自分”の面影が、かすかに残っている。
過去の記憶が、絶望の中で唯一の“ぬくもり”として描かれているのだ。
❖ “優しさ”という凶器と、誠実さの罠
WOW 優しさは AH WOW 時として 人を傷つけた
「優しさ」が誰かを傷つける。
それは皮肉にも、本心を隠すための“誠実なふり”が人の心を壊すことがあるという、TAKUROさんらしい逆説的な視点。
また、
今、誠実さに溺れてゆく…
という表現も印象的だ。
誠実であることは素晴らしいが、それに“溺れてしまう”と、自分の感情すら失ってしまう。
愛とは、正しさだけで測れるものではない──そんな葛藤が浮かび上がる。
❖ 捨てたものの大きさと、「生活」という夢
光りを目指す自分の為に 何もかも捨てたさ 「おまえとの生活ほどの夢はなかった」
夢のために捨ててしまった“家族・友・恋人”。
それらの喪失を経て、最後に語られる「おまえとの生活ほどの夢はなかった」という一行には、痛切な後悔と愛情がにじむ。
大きな成功よりも、隣にいた人との穏やかな日常こそが、本当に欲しかった夢だったのだと気づいたときには、もう戻れない。
❖ “奇跡の果て”に残ったのは──
不器用に生きた軌跡の果てに 大切な何かを失くしても
このフレーズ。
不器用でもまっすぐに生きてきた人生──その果てにあるのは、痛み、孤独、喪失。
しかし同時に、“大切な何かを失くしても”、どこかでそれを受け入れようとする強さが生まれている。
泣きたくなるほど切ない夜、それでも「幻よ、消えないで」と願う心。
人は弱さを抱えながら、それでも“生きていく”存在なのだ。
❖ ラストの問いかけ
憧れに生きた軌跡の果てに 大切な何かを失くしても
ラストはもう一度この言葉で締められる。
「憧れ」という言葉には、少年のようなピュアな感情が込められている。
その果てに何が残るのか。
愛も、夢も、すべてが幻のように過ぎ去ったとしても──それでも「自分の人生だった」と胸を張れるだろうか。
あなたにとって、“軌跡の果て”とは、何ですか?
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